理性と生成


人間は理性概念で超越性に応じる。
そして、理性概念と自然の生成力が一致することがある。

人々の「理性概念の現象化への意識と試行」が
「源流である生成の現象」といかに一致するかを
主導することは新たな時代の力である。

理性概念は超越的概念である。

それは反省的(特殊性から普遍性を見る)な能力による
世界の再獲得として現われる。

現代の勝負は最終製品(やサービス)のみにあるのではなく、
世界の変化に関して人々の求心力を得ているかにある。

「スマートフォン+人工知能+クラウド」と
「物のIT化」は、さらにその進化の傾向は、
「知性的現象世界」を生じている。

現象世界の知性化は、
理性概念(超越的概念)は現象化するという意識に
自発性と試行が誘導されることによる、
人々の新たな活動可能領域を現わす。

仮想現実感により、
人々の超越性の経験は記号的に加速されている。

起こりえる新たな事象に向けて、
心理的なブレーキをはずすことに、
時代感覚が現われている。
「時代の当事者」である快感だ。

その感覚にシンクロできるかどうか。

これらから、
提供者(企業)の存在意義は「変化の源流を現わしているか」に
見られるようになっている。

「現在の経済的効果」と
「新たな試行が文化として成立する時間の流れ」が
「人々の自発性について」
明示される必要がある。
それが「発展の血流」をうながす。
それは「資金の流れ」や「自社の生成力」を現実化する。

反面の事実として、
知性的現象世界の特徴の一つである「グローバル化」は、
「新興国の高度成長と先進国の既存の経済の停滞」を
現わしている。

「現在の利益」のために
「経済と産業の基礎体力」が失われていく、
ジレンマが現われている。

「源流」をとれるかどうかは、
「プレイヤーを集められるかどうか」に現われる。
それはオセロでの「角をとれるかどうか」に例えられる。
「状況を一気にひっくり返す」事態が生じる。

理性概念は超越性を現わす過程だ。
必ずしも安定して現われるものではない。

しかしながら、日本では、苦難の時代に際し、
「原理的な解はあるはず」という衝動に応じる、
人々の感覚にはなじむ。

(2015/11/6)



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